イゲタロイの歴史 第2章

第2章 チップ・バイト・カッタなど新製品が萌芽 -1

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    イゲタロイ合金工場

    1952年に建設されたイゲタロイ新合金工場(能力4トン)は、1958年と1961年に相次いで拡張され、近代的な超硬合金設備を備えた新鋭工場として完成。その後もさらに設備増強や生産技術の開発が積極的に進められ、最盛期には30トンの能力をもつ質量ともに世界トップクラスの超硬合金工場へと発展しました。

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    講演中のキーファー博士

    1955年3月当社に粉末冶金の技術指導のために来訪された世界的権威者のRichard Kieffer博士(MP社)が「粉末冶金の今明日」と題して講演(4月9日大阪)された時の写真(この日50才の誕生日)

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    M.P社と技術提携、相つぐ新材種発表

    1953年3月、オーストリアの Metalwerk Plansee(MP)社と技術導入契約を結び、翌年には新材種(ST種、U種、H種)を発表。さらに1959年に登場した「A40」はハイス工具の分野にまで食い込むほどの強靭合金として反響を呼びました。 上の写真は新材種を用いて重切削を行っている住友金属工業(株)大阪製鋼所殿での現場風景のひとこま。

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    代表的な超硬製品(当時)

    戦前・戦後を通して当社の最も得意としてきた線引き用ダイス・管引き用プラグ・ろう付けバイト・ロックビットなどに加え、1955年にはフライス用の「マイスカッタ」を発表。手軽な操作が現場で喜ばれました。

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    ダイス工場

    線引きや管引きに用いられる超硬ダイスやプラグのラッピング(研磨)作業には多くの人手を要しました。しかし今日では、これらの風景もすっかり姿を消してしまいました。

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    バイト工場

    超硬バイトの加工には、高周波ろう付け・ダイヤモンド砥石による刃先研削・シールピールによる刃先保護被膜・ローラーコンベアによる流れ作業方式など新技術が採用されていました。

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    カッタ工場

    各種の研削盤を主体とした外国一流メーカーの優秀機が多数設置され、さらに1950年代からは放電加工技術を取り入れ、高精度で複雑な工具にも対応しました。

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    イゲタロイ加工工場

    1962年、合金工場に隣接して3階建ての新加工工場が竣工。精密加工(1F)・耐摩工具加工(2F)・スローアウェイチップ量産品加工(3F)の合理化された加工ラインが整備され、それまでの木造平屋の工場から移設し、面目を一新して近代化へのスタートを切りました。

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    横型連続モリブデン炉

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    わが国初のベッセル型高周波真空炉